□ 源頼朝書状(1)
神護寺領若狭国西津荘における、関東御家人比企朝宗らの濫妨狼藉の禁止を命じた頼朝書状である。 発給年は不詳であるが、寿永三年(1184)と推定される。 西津荘は若狭国遠敷郡にあった荘園で、現在の小浜市内に比定される。 元暦二年の文覚起請文によれば、検非違使尉となった安倍資良が当地の勝載使の得分を、神護寺に寄進したことによって神護寺領西津荘が成立したとする。 勝載とは船荷に対する津料のことであり、そのころ西津が湊として機能していたことが知られる。 この荘園が平家の知行地であったことから、平家滅亡時に関東の御家人が横領したもので、頼朝が不法を禁じて寺領の保証を行った。